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2019年4月24日 (水)

推理か愛憎か

今回読んだのは「硝子の葦」(桜木紫乃著)。

文庫本の裏表紙のあらすじは「驚愕の結末を迎える傑作ミステリー」との文で締めてありますが、私の感想は「ドロドロの愛憎劇」。

前回読んだ「ラブレス」では、主要人物である4人の女性それぞれに感情移入して心打たれましたが、「硝子の葦」の主要人物には精神的にあまり“接近”できなかったな。

でも、主人公とその母親との会話に、ぞっとするような怖さを醸し出す部分があって、そこは是非、「母親役を大竹しのぶで映像化して欲しい!」と思いました。

で、ちょっと調べてみたら、4年前にドラマ化されていたようです。母親役は多岐川裕美でした。多岐川裕美も悪くないかな。主役は相武紗季でした。ふーーーん(-_-)

ま、とにかく、ミステリーではないと思うのですよ、ミステリーでは。そして読後感は、鬱々悶々という感じでした。

さて、気を取り直して、今日の「ありがとう」を言いたい相手を考えよう。それは、すっかり馴染みになってしまった、薬局の店主さん。

2019年4月16日 (火)

強くて弱くて鈍感で繊細で

久しぶりに読書感想。「ラブレス」(桜木紫乃著)。

またも、心にぐさっとくる内容でした。2組の母娘の話。というよりは、1組の姉妹とそれぞれの娘の話。

4人それぞれ生い立ちに事情があり、どれも本人の力で避けられたことではなく、受け入れる以外に選択肢はなく、自らを納得させて生きてきた。

それでも、納得しきれない何かが積もったり、お互い反発してしまったり、でも一番気に掛けているのはお互いだったり。

流されるままに生きた者もいれば、流されまいと立ち向かって生きた者もあり、4人とも強さと弱さと鈍感さと繊細さを、異なる形で持ち合わせた女性たちだった。

姉妹の名前は百合江と里見。百合江の娘が理恵。里見の娘が小夜子。私には、百合江と小夜子、里見と理恵がどうにもごっちゃになってしまって、半分くらいまで状況を理解するのに時間がかかってしまった。

辛い話だったけど、やっぱり桜木紫乃は良いなあと確認した作品でした。

次回も桜木紫乃を読む。

今日の「ありがとう」は、ポカポカの天気に。暖かいと心も体もほっとする。

2019年2月27日 (水)

猫がいる、それだけの話

小説はちょっとお休みして、今回は「作家の猫2」。「2」ということは「1」があるわけですが、「2」の表紙に惹かれて、まずこちらから読みました。

作家に限らず、著名人(故人)と飼い猫の関係をまとめた本です。取り上げられているのは、赤塚不二夫、立松和平、谷啓、池部良、田中小実昌、萩原葉子、武満徹、久世光彦、川本恵子、鴨居羊子、中村汀女、佐野洋子など(敬称略)。

表紙に使われているのは、谷啓の愛猫。口を開けて仰向けで寝ているアホ面がかわいい。

飼い主と飼い猫の関係。特に感動秘話があるわけでもなく、起承転結があるわけでもなく、だからどうした、という話がほとんどですが、猫好きには、それでいいのです。それがいいのです。

今日の「ありがとう」は、歌舞伎の話をたくさんしてくださったK子さんに。

2019年2月20日 (水)

前向きな挫折

「舞踏会へ向かう三人の農夫」(リチャード・パワーズ著)を読み始めましたが、挫折しました。全然進まない。「ヴィトゲンシュタインの箒」並みに進まない。

どうもストーリーに入っていけないというか、ストーリーが入ってこないというか、目だけは文字の上を、行の上を通り過ぎていくのだけど、はたと気づくと、まったく読めていないのです。

以前は、それでもとにかく読み終わらなければ、と無理して読み進めましたが、とある読書家の方が、そういうときはすっぱりあきらめて他の作品を読む、ということをツイートしていたので、今回は途中で切り上げることに。

おそらく、今はこの作品を読むタイミングではなかったのだ。そう、前向きな撤退です。いつかまた手に取って読むことになるでしょう。

さて、今日の早朝の月はとっても大きくて、パンッパンッでした。擬音語ではなく、マックスまで膨らんでいる「パンッパンッ」具合。

どうやら、2月20日の月は2019年で最大の月だったそうです。国立天文台のサイトによりますと、2月20日0時54分の月が最大の満月だったとのこと。その時間は寝ていたなぁ。

でも、今朝見た月が、「私が今年見た(見る)中で最大」になるであろうことは確かなようです。一応写真を撮りました。

Img_2415

街灯の光ではないですよ、屋根の向こうに見えている早朝の月です 今日の「ありがとう」は今年最大の満月に

2019年2月 6日 (水)

終わりと始まりは同じ

今回の本は「起終点駅(ターミナル)」(桜木紫乃著)。表題作を含め6話の短編集です。

はいつくばって生きている人たちの話。外から見ただけでは、華やかに、またはしなやかに、あるいはいい加減に、流されるままに生きているように見えるかも知れないけど、それぞれ過去を引きずりながら、あるいは振り払おうとしながら生きていく。どの作品も、読後感は少々“辛い”。それでもみんな、生きることを続ける、どれも胸にグッとくる作品です。

「たたかいにやぶれて咲けよ」は、私にとってあまりに映画「デュラス 愛の最終章」とかぶってしまい、ほんの少し冷めてしまう瞬間もあり。でも、(デュラス原作の映画『ラマン』について)主人公の「俳優がレオン・カーフェイだということは覚えているが…」の言葉には「そうそうそう!私もレオン・カーフェイが好きで見に行ったのよ!」と若かりし頃を思い出した。

「起終点駅」は映画化されたので、ずっと長編だとばかり思い込んでいた。映画は未見だけど、この短い作品をどうやって映画にしたのか、見てみたい。ちなみに、私にとって主人公のイメージは、(実際に映画で主演した)佐藤浩市よりは、どちらかといえば中井貴一。

一番印象に残ったのは「潮風(かぜ)の家」。主人公が30年ぶりに訪ねた、亡き母の友人、たみ子の人生は、まるで別の時代の別の場所に引きずり込まれるような目眩を呼ぶ。読み終わった後は、哀しさと苦しさに少しだけ「安堵」が混じる。

今日の「ありがとう」は、てきぱきと動きが機敏な、スーパーのシルバー人材おじさんに。

2019年1月26日 (土)

笑って泣いて

5日にブログを書いたきり、あっという間に3週間が過ぎてしまいました。

年が明けて最初の月にこれでは、この1年がおもいやられます。

平成も残りわずかだと言うのに…。

書きたいことはいくつかあったのですが(遠州流初点でお家元の点てたお茶をいただけたこと、恒例の初春歌舞伎で相変わらず手拭いがゲットできなかったこと等々)、心と時間に余裕がないままに今に至ってしまいました。

久しぶりに書くとなると、ネタが思いつかない。

ということで、手っ取り早く、読んだ本のことを。

「ヴィトゲンシュタインの箒」の後、「13階段」(高野和明著)と「ふくわらい」(西加奈子著)を読みました。

「ヴィトゲンシュタインの箒」があまりに苦労したので、「13階段」は一気に、遅読の私にしては相当な勢いで読みました。

映画化されるだけあって、面白い(笑う面白さではなく)。テーマは重いけど、話の展開に引きつけられて、とにかく次が気になってどんどん読み進めてしまう。

でも、読み終わった後に、テーマが重い割にどことなく「晴れやか」な気持ちがあるのが気になりました。作品のせいではなく、読む側の責任かもしれませんが。

そして、「ふくわらい」で「私は西加奈子が好きだ!」ということを確信しました。性格が奇異な人も、外見が奇異な人も、行動が奇異な人も、みな愛しい。みな実は心の奥底では闘っていて、そのエネルギーが外に出る人と内で燃える人がいる。

どちらも見ていると辛くて、どちらも共感できる。

クスっと笑ったり、ボロボロと泣いたり、私を翻弄してくれる本でした。

今日の「ありがとう」は、JIN○のにこやかな店員さんに。

2019年1月 5日 (土)

昔も今もちんぷんかんぷん

ずいぶん停滞していました。簡易読書感想。

今回読んだ本は「ヴィトゲンシュタインの箒」(デヴィッド・フォスター・ウォレス著)。

以前読んだ「これは水です」のスピーチをしたウォレス氏の小説です。

とにかく、読み進めるのに苦労しました。最終的には、飛ばし飛ばし読んで、とりあえず最終ページまで到達したという感じ。つまり、正直に白状すると、ちゃんと読んではいないです。

いろんな会話がランダムに展開され、いろんな場面がランダムに進行し、面白い!と思う時もあるけれど、訳が分からなくなってどうでもいいという気分になったり。

最終的に、私が期待する「結末」というものは存在しませんでした。

行方不明になった祖母レノアと他の人たちはどこに行ったのか?孫レノアとアンディーは本当にこのあとうまくいくのか?もともとリックは何者だったのか?それらが分からないまま終わるなら、今までの展開は何のためだったのか?

もはや、貸出期間内に読み終わらなければ!ということだけを念頭にページをめくりました(図書館から借りたので。

ただ、本筋と関係あるのかないのか分からないまま展開する場面のいくつかが、昔読んだドイツの幻想小説の劇中劇のようで、それは不思議な感覚が味わえた。

ちなみに現代は「システムの箒」なのですが、訳者が「ヴィトゲンシュタインの箒」としました。これは、ヴィトゲンシュタインを読む必要があるのかも?学生時代に何か1冊読んだことがあったけど、私の頼りにならない記憶が確かならば、まるっきりちんぷんかんぷんでした。

今日の「ありがとう」は、頑張って大役を果たしてくれたS崎さん、K賀さんに。私も疲れたけど、二人の方が疲れたよね。ゆっくり休んでください。

2018年11月27日 (火)

元ストリッパーの生き様に泣く

今回は「裸の華」(桜木紫乃著)。

耳鼻科で診察の順番が回ってくるのを2時間近く待っている間、ラストを一気に読み上げた。泣くほどのシーンでもないと思いながら読みつつ、涙が止まらない。

元ストリッパーのノリカが、出発点の“小屋”に戻っていくのは、負けでも諦めでも、弱さからでもなく、強いからこそだと分かりつつも、どうしても悲しくて泣ける。

枯れきった肌、しぼんだ体で最後まで踊ろうとする静佳は、決して哀れではないはずなのに、苦しくて泣ける。

ノリカのショーでタンバリンを叩いていたオガちゃんや、音響照明のサブローは、口調がなんとなく女性っぽくて、それが妙に「世話焼きおばちゃん」的な温かみがあって、これまた(なぜか)泣ける。

皆、必死に、強く、しなやかに生きている。そして、あらためて思った。たぶん、ほとんどの人生は、“成功”とは無縁だ。

今日の「ありがとう」は、ちょっとだけ暖かかった空気に。

2018年11月17日 (土)

大切なのは意識して選ぶこと

続いて、「これは水です」。アメリカの作家、デヴィッド・フォスター・ウォレスが米ケニヨン大学の卒業式で行ったスピーチを書籍化したもの(阿部重夫訳)。

スピーチをテキスト化したものがケニヨン大学のサイト他のサイトなどでで公開されていて、まず原文で読んだのですが、意味をうまく捉えられないところがいくつかあったので翻訳本を読んで意味を確認した次第。

これから大人の社会を生きていくにあたり、大切なのは何を考えるかではなく、どう考えるか。どこに目を向けて考えるか、対象を意識して選ぶこと。本当の真実とは、常に身の回りにありながら、見えにくく、気づきにくく、繰り返し繰り返し自分に言いきかせる必要がある。

教育の真の価値とは、自由の真の意味とは。陳腐な決まり文句や教訓じみた寓話によって(得てして真実を突いている場合がある)、シンプルに説いています。

スティーブ・ジョブズの米スタンフォード大学でのスピーチも素晴らしかったけど、このスピーチも胸を打つものがあります。

そして、ウォレスはスピーチの3年後に自死してしまうのですが。

今日の「ありがとう」は、新年の初点式の連絡をくださったHさんに。もう2019年かあ・・・。

2018年11月16日 (金)

巻き込まれないように、斜め読み

今回読んだのは「笹の舟で海をわたる」(角田光代著)。

後半、だいぶ読み飛ばしました。なぜかというと、ちょっと読んでいるのが辛かったので。

疎開を経験し、やがて主婦となり、母となった主人公・佐織は、境遇としては私とまったくちがうけど、なぜかかぶるところが多い。

思うままにパワフルに人生を切り開いていく友人・風美子を頼もしくも羨ましく思いながら、常に、彼女に人生を持って行かれてしまうのではないかという不安感。被害妄想と言えなくもないシーンもいくつか。

娘をかわいいと思えず、その後ろめたさから努力してかわいがる。成長した娘は母親を嫌い、むしろ風美子に心を開く。

風美子に対する猜疑心や嫉妬心を抱えつつも、姑が風美子をさげすんだり、風美子の夫である義弟がろくに働かずにいるのを知ると、風美子のために腹を立てたりする。

ああ、なあんか、分かるんだなあ、佐織の気持ち。境遇は全然違うのに。どこか似ているのかなあ。

ちゃんと読んでいると主人公の心情に巻き込まれそうになるので、斜め読みでやりすごし、なんとかラストを見届けました。

今日の「ありがとう」は、急に稽古に加わってくれたK賀さんに。

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