2021年6月13日 (日)

音の光景

今回の読書は「蜜蜂と遠雷」(恩田陸著)。

前回の「羊と鋼の森」から「ピアノ」つながりです。「羊と鋼の森」は調律する人の話でしたが、「蜜蜂と遠雷」は弾く人の話。架空の世界的コンテストに挑む4人のピアニストに焦点を当てて、コンテストの進行とともに物語が進んでいきます。

「羊と鋼の森」は、ほんわかと優しくて温かくて、あるいは静かで爽やかな風景が浮かんでくる感じでしたが、「蜜蜂と遠雷」は描写も目に浮かぶ光景も、もっと感情的(エモーショナル)で躍動的(ダイナミック)。

例えば、(モーツァルト「ピアノソナタ第十二番第一楽章」の演奏を聴いて)「このモーツァルト。いったいどこまで走り抜けようというのか」とか、(メンデルスゾーン「無言歌集の春の歌」に演奏が移ったとき)「いきなり場面は、匂い立つ花園になったのだ。あでやかに咲き誇る春の花が、目に浮かび鳥が歌うさまが見える」とかね。

そしてそれは、私にとって、クラシックが好きな人は演奏を聴いてこんな風に感じたりするのか、と新たな発見でした。

正直言うと、私はクラシックの演奏を聴いて、いやクラシックに限らず、楽器の演奏を聴いてこんな風に感じることはありません。もちろん、「きれいなメロディーだな」とか「優しい音だな」とか、「楽しげなリズムだな」とは感じるけど、こうして何かの光景が鮮やかに目の前に展開されるということは、ほとんどない。

私はいままで、本当に音楽を鑑賞できていなかったのね。だから音楽がなくてもさほど不自由を感じなかったんだな~。単に自分が音痴だからだと思っていました。

さて、「蜜蜂と遠雷」は2017年に直木賞と本屋大賞をダブル受賞、そして2019年に映画化されています。映画化の際に、テレビCMやら車内広告やらを目にしていたので、キャスティングは知っていましたが、本を読み終わってあらためて当時の記事や予告編(動画)を見ると、私の思い描いたキャラクターとけっこう近い!映画はまだ見ていないので、機会があったら見てみようと思う。

今日の「ありがとう」は、午前中のあれやこれやに対応してくれたNさんに。

2021年5月15日 (土)

優しい人たちのピアノ

今回読んだのは、「羊と鋼の森」(宮下奈都著)。2016年の本屋大賞1位に輝いた作品です。

優しさを湛えた文章で、安心してどんどん読み進められる。

ピアノの音色から風景が広がる様子や、ピアノのたたずまいから持ち主の性格(生活)が読み取れるところなど、丁寧な描写に、「ふむふむ、なるほど」と感心する。主人公の性格が、細やかでありながら良い塩梅で鈍感なので、たとえちょっとした停滞やつまずきがあっても、すべてが少しずつ良い方向に回っていくことが感じられる。

登場人物がみんな(多かれ少なかれ)優しさを持ち合わせていて、なんとなく温かい気持ちになれる作品でした。なんとなく未来に希望が持てるような、そんな感じ。そう、「なんとなく」ね。

そして、もうそうとうの年数を生きてきた私は、「そうねぇ、若い頃は未来に希望を持っていたときもあったわねぇ」と、すぐに冷静な気持ちに戻ってしまいました。

ちなみに私も子供の頃、ピアノを習っていました。なぜ自分がピアノを習い始めたのかよく分からないまま、近所のおさななじみも通っていたので、みんなそういうものかなあと思いながら続けていました。といっても別にピアノが好きだったわけではないので、あまり練習せず、当然のことながらたいしてうまくならず。

小学校低学年で引っ越した先でもピアノ教室に通い始めましたが、前に通っていたピアノ教室と教え方がまったく異なり(正確には、前に通っていたピアノ教室の教え方が当時としては特殊だった)、最初のバイエルからやり直しになってしまい、ますます練習嫌いになり、ますます下手になっていき、中学校の途中でやめてしまいました。

今思うと、決して裕福ではない、はっきり言えば貧乏だった我が家でピアノを所有することは、親にとってはかなり負担だったでしょう。もっと頑張って練習してあげればよかった。

と反省する一方で、なぜピアノなんか習っていたんだろう?と疑問が湧き、あるとき両親に尋ねたところ、どうやら私が習いたいと言い出したのではなく、どうしても母が私に習わせたかったそうです。しかも、最初にピアノ教室に行ったときに、ピアノの先生に「お母さん、申し訳ないけど、この子はうまくならないかもしれません」とはっきり言われたそうです。なぜかというと、手が小さく、指が短いから。先生のご指摘どおり、成人した私の手は、思いっきり広げても1オクターブ届きません。

まあ、母としては、別にプロのピアニストになって欲しいわけではなく、「お嬢様」というイメージでピアノを弾けるようになってほしいという希望だったのでしょう。

そんなわけで、まったくピアノに思い入れなく、鍵盤を順番通りにたたくだけだった私は、今回この本を読んで、「そうか、ピアノを弾く人は、こんな風に心をこめて弾いているのね」と、まるでピアノとは無縁の人間のような感想を抱きました。

お母さん、希望通りのお嬢様に育たなくてごめんね。ドイツ製で臙脂色っぽい木目調の素敵なアップライトピアノだったよね。

2021年5月 4日 (火)

15年後のための一作

「われもまた天に」(古井由吉著)。前回読んだ「我らが少女A」の著者、髙村薫氏が、古井由吉の作品は出たら必ず読むと話していたので、選んでみました。残念ながら古井氏は昨年2月に亡くなられています。

ふつうは代表作「杳子や「槿」から手に取るのでしょうけど、まず最後の作品(エッセイ)を読みました。亡くなる前年から直前までに書かれたエッセイなので、入退院を繰り返している様子が語られています。

入院と入院の間の散歩や外出の様子、何度目かの入院に至る様子、何度目かの退院の時の様子、そして、身内の死や世間を騒がせたニュースに対する反応。決して悲愴感を漂わせるのでもなく、しかし淡々とした印象とも少し違う。静かに、少しずつ、エネルギーが薄まっていくような感じ。もし、私があと15年歳をとってから読んだら、ヒシヒシと胸に迫るものがあるのかもしれない。

タイトルの「われもまた天に」は、明の時代の医師・李挺のことば「吾のいまだ中気を受けて以って生まれざる前、すなわち心は天に在りて、五行の運行を為せり。吾のすでに中気を受けて生まるる後、すなわち天は吾の心に在りて、五事の主宰を為せり。」から。意味は、作品中に説明がありましたが、よく分かりませんでした(^^;

15年経ったら分かるかも知れない。

今日の「ありがとう」は、私が週末に悶々と悩んでいたことに「そんなこと全然ないですよー」とあっさり答えてくれたIさんに。若いママさん、とても頼りになります。

2021年4月25日 (日)

さざなみと光と

今回読んだのは「我らが少女A」(高村薫著)。

久しぶりの合田雄一郎シリーズ。池袋で起きた殺人事件から、12年前の未解決の老女殺害事件が動き出し、当時その事件に関わっていた、現在は警察大学で講師をしている合田雄一郎が巻き込まれていく。

何よりもまずショックだったのは、合田雄一郎があと3年で還暦ということ!年とったなあー。自分(読者)も年とるはずだよ。

合田が現在“現場”を離れた立場ということもあり、かつての合田シリーズのような“推理”小説とは異なる。

関係者たちの当時の生活や行動、そして、現在の生活と行動、そこに12年前の記憶を引っ張り出された困惑や不安や苦悩や…。そうした微妙な心の“さざ波”の描写は、さすが高村薫。

で、結局犯人は…?

かつての合田シリーズが好きだった私としては、ラストはちょっと「不完全燃焼」だったけど、未来に希望を抱く者もあり、他者を許す者もあり、現在の幸福を実感する者もありと、最後に明るい光が見えるのは良かった。

しかし、これを「明るい光」と捉えるのは、短絡的過ぎるのか?

今日の「ありがとう」は、いち早く反応(レス)を投げてくれたSさんに。毎度、頼りになります。

 

2021年3月 3日 (水)

倍返しならぬ、追いつめ返しだ!

本日は桃の節句。毎年、必ずちらし寿司を作っていましたが今回は準備不足のため、作れず。桜餅も、準備不足のため、作れず。

せめて桜餅を買って食べようと近所の和菓子屋さんに行ったら、売り切れでした。

そんなわけで、まったく桃の節句らしさのない一日でした。まあ、それもいいでしょう。それもまた、平和な一日です。

さて、ピエール・ルメートルの「死のドレスを花婿に」を読み終わりました。前回読んだ「その女、アレックス」ほど陰惨ではなかったものの、もうろうとした中で追いつめられていくような、息苦しさが続き、読了感はあまり良くないです。分かっていたことですが。

記憶が無いあいだの自身の行動、もしくは、自身の行動に記憶が無いことが、どれほど不安を生み出し、人を追いつめるものなのか。

毎晩夢を見るけど、はっきり覚えていることが少ない私が、日中漠然と不安なのはそういうことなのかもしれないなあ、などと思いました。

小説ではその後、どのように「追いつめられる」かという受動的な描写から、どのように「追いつめていく」かという能動的な展開になり、さらに「追いつめ返す」というどんでん返しになり、率直に言って、「イヤな話」です。「その女、アレックス」ほどではないですが。

次は楽しい本を読もう。

今日の「ありがとう」は、私の失敗を「そんなの失敗のうちに入らない」と慰めてくれたIさんに。

2021年2月17日 (水)

辛い日々に身を委ね

久しぶりに海外小説を読みました。「その女アレックス」(ピエール・ルメートル著)。2015年の「このミステリーがすごい!」海外部門で1位になった推理小説です。

数年前から気になっていたのですが、ちょっと手が出せずにいました。書籍紹介によれば、アレックスという女性が誘拐・監禁され、衰弱する中、死を目前に脱出を図る。しかし、「ここまでは序章にすぎない。孤独な女の壮絶な秘密が明かされるや、物語は大逆転を繰り返し、慟哭と驚愕へと突進する。」と書かれていて、面白そうだけど、読んでいて辛くなりそう。

気になりながらも読まずに来ましたが、ようやく今回、手に取りました。

実際、とても面白かった(笑う面白さではありません)。そして、実際、とても辛かった。

話が展開するごとに、ぐいぐいと引き込まれ、事実が明かされるごとに、陰鬱な気分になる。人に読むのを勧めるかと問われれば、う〜ん、躊躇しますね。

図書館に返して、今度はピエール・ルメートルの別の小説を借りてきてしまった。ああ、またしばらく気が滅入る日々が続く…。

そういえば、4日前に撮った駒沢オリンピック公園の枝垂れ梅の写真をアップし忘れていました。
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たぶん今頃満開です。

2021年1月31日 (日)

小説は文字で、歌舞伎は劇場で

久しぶりの読書。「国宝」(吉田修一著)。

ヤクザの跡取り息子に生まれた喜久雄、歌舞伎名門の跡取り息子に生まれた俊介。互いに切磋琢磨しながら、一度は道を分かち、そしてまた道が合流し、ともに女形の極みを目指す。

この作品を知ったのはつい最近。audibleで菊之助丈がナレーションを担当していて、それが「素晴らしい!」という意見をラジオで聞いたから。

audibleを購入しようかどうか迷ったのですが、まずは文字で読んでみようと、図書館で借りました。

当初は、単純に若い二人の競い合いを応援する気持ちで読み進めていたのですが、それぞれが大人になるに従って経験する苦悩や試練に、読んでいるこちらも気持ちが参ってしまうこともしばしば。それでも、いや、それだけに、歌舞伎の舞台の場面は「現実とは離れた世界」として美しく尊く感じられました。

ラストに近づくほど、「ああ、この場面を菊之助丈の声で聞きたいなあ」という思いが強くなったので、読み終わったときに、audibleに登録(最初の2カ月間は無料)し、ちょっと聞き始めてみました。

が、すぐにやめました。私が「菊之助丈の声で聞きたいなあ」と思ったのは、小説ではなく、歌舞伎の舞台であることに気付いたからです。それに、audibleだと、「ながら聞きして、結局全然耳に入っていなかった」なんてことになりそう。

やっぱり小説は文字で読むのがいいですね。そして、菊之助丈を見に、また劇場に足を運ぼうと、あらためて心に決めました。

今日の「ありがとう」は、貴重な情報を教えてくれたラジオリスナーに。

2020年10月 3日 (土)

懐かしの麻紀嬢

しつこく暑かった夏がとうとう終わり、いつのまにか2020年も4分の3が終了。

急に朝の冷え込みが激しくなって、もう冬?と慌てましたが、10月1日の中秋の名月、10月2日の満月を無事に拝むことができ、この週末は秋を満喫です。

ひさしぶりの読書は「緋の河」桜木紫乃著。

子供の頃から女言葉をしゃべり、女の子のかっこうをするのが好きな男の子が主人公。「男でも女でもない、私は私になる」と自分の人生を貫くため、ゲイボーイになるべくゲイバーで修行。

今のご時世なら、「性同一性障害」なのかもしれないが、この時代にはそういう概念も言葉も無い。女性的要素の多い男性はひとくくりに「オカマ」などと呼ばれていた。小説内では「私はオカマじゃないわ、ゲイボーイよ」というセリフが出てくるけど、「オカマ」と「ゲイボーイ」がどう違うか(言われる側にとってどれくらい許容できる/できない範囲なのか)私にはちょっとピンとこない。

いずれにしろ、この時代では、オカマであろうがゲイボーイであろうが、性同一性障害であろうが、社会に認められず、「異質」に分類されていた。

そういう社会背景のためか、主人公は、現代のように「私たちにも平等に人権を認めろ」ということはまったく言わず(考えもせず?)、「私は私よ。この世にはないものになるわ」と言う。それは、「フリーク」であることをむしろ誇りとして、スポットライトを浴びながら生きる道を見出そうとしているように見える。

終盤で、「あれ?この人、もしかして、カルーセル麻紀がモデル?」と思って検索したら、やはりそうだった。

カルーセル麻紀。今の若い人たちは知らないかもしれないが、私の世代では子供の頃、けっこうテレビで見かけていた。男だと分かっても、気持ち悪いという感覚はなかった。テレビが「よその世界」でしかなかった子供にとっては、カルーセル麻紀は「あるタイプの芸能人」という認識だった。

しかし、あの時代に、「体が男、心が女」である人はどんなに辛い思いをしたことか。といっても、「体が女、心も女」である、主人公の母親や姉も、女であるがゆえに辛い生活を強いられる。母親や姉にとって、主人公は「異質」で戸惑う存在であると同時に、女の枠から飛び出すという、一縷の希望を賭ける存在でもあったように思える。

「緋の河」、希望の光を感じる作品でした。

今日の「ありがとう」は、早朝の満月に。

2020年3月 7日 (土)

才能は扉に隠れてる

今回読んだのは、「微笑む人」貫井徳郎著。

テレビドラマを見たのを機に、読んでみました。

テレビドラマも面白かった(楽しい意味ではなく、興味深いという意味で)けど、やはり小説の方が、細かい描写や追加のエピソードがあって、いっそう厚みを感じた。小説の面白さを全部テレビドラマにするには限界がある。だからこそ、ドラマ化の際には、原作とは違う味付けが必要になるのかもしれない。

今回の本では、内容とは別のことで発見がありました。

それは、各章の扉ページ。
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分かりますか?各章のタイトルが、背景のドットの中に隠れているのです。

4分の3ほど読み進めたところで気づき、とても感動しました。このデザイン、すごい!装幀担当者がこの部分もデザインするのでしょうか。ちなみに、この本の装幀は「welle design 坂野公一+吉田友美」とクレジットされています。

こういうデザインを思いついて、しかもそれを形にできる人を才能がある人と言うのだなと感服すると同時に、ああ、私って凡人!とあらためて自覚しました。

今日の「ありがとう」は、紙媒体の本の素晴らしさに。

2020年2月 3日 (月)

幻想と清涼感と

節分なので、小さい声で「鬼は外、福は内」とつぶやきながら、こそこそと室内に豆を撒き、そそくさと掃除して、イワシを食べました。

さて、読み終わったのは「道化師の蝶」円城塔著。

前々回に読んだ「方形の円 偽説・都市生成論」(ギョルゲ・ササルマン著)となんとなく関連性を感じて手に取りました。円=円、城・塔→都市の建造物、道化→偽説。勝手な連想ですが。

とても難解な物語ですが、理解する必要はないと思いながら読めば、さらさら読めます。若い時に読んだドイツ作家の小説(作家名・作品名ともに失念)の中に出てきた幻想小説が思い起こされ、なんとなく欧州の作家のようなイメージを抱きました。

その一方で、池澤夏樹の「夏の朝の成層圏」を初めて読んだ時のような清涼感も蘇りました。「道化師の蝶」も「夏の朝の成層圏」も、私好みの装丁。

とりあえずさらさら読み終わったけど、また機会があったら「じっくり」読み返してみたいと思います。収録作の「松ノ枝の記」も理解を超えて(外れて)面白かったです。

今日の「ありがとう」は、話題のスイーツをお裾分けしてくれたT橋さんに。
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