2021年8月15日 (日)

歴史は繰り返してはいけない

東京都の新型コロナウイルス感染者数が2日連続で5000人越え、そして豪雨による明け方からの「警戒レベル4」速報のため、本日は終日引きこもり。

前回の投稿から引き続き、某公共放送の「映像の世紀」のアーカイブを視聴。8話〜11話の4話を一気に見ました。歴史の真実の一部(たぶんすべてではない)を突きつけられて、少々ヘトヘトですが、未来永劫残したい番組だと、あらためて思いました。

それにしても、日本は結局のところ、いわゆる「大国」に見透かされ、踊らされ、利用されていたんだなと感じました。そして思い上がった末に、多くを喪失し、嫌悪され、孤立し…。愚かですね。

しかしその「大国」も、エセ正義の大義名分のもとに、自国の財産(特に人民)をそうとう消耗している。そして懲りずに世界各地の紛争に首を突っ込む。愚かですね。

映像の世紀=20世紀=戦争の世紀。それが、21世紀の今、なんとなく似たような感じがまた、繰り返されそうな気配だと考えるのは、神経質過ぎますかね?

今日は終戦記念日です。今でも世界のどこかで戦争(紛争)が続いていますが、少なくとも、この日本では二度と起きないでほしい。私は戦争を知らない世代ですが、ずっとずっと戦争を知らない世代でいたいと強く思います。

2021年5月15日 (土)

優しい人たちのピアノ

今回読んだのは、「羊と鋼の森」(宮下奈都著)。2016年の本屋大賞1位に輝いた作品です。

優しさを湛えた文章で、安心してどんどん読み進められる。

ピアノの音色から風景が広がる様子や、ピアノのたたずまいから持ち主の性格(生活)が読み取れるところなど、丁寧な描写に、「ふむふむ、なるほど」と感心する。主人公の性格が、細やかでありながら良い塩梅で鈍感なので、たとえちょっとした停滞やつまずきがあっても、すべてが少しずつ良い方向に回っていくことが感じられる。

登場人物がみんな(多かれ少なかれ)優しさを持ち合わせていて、なんとなく温かい気持ちになれる作品でした。なんとなく未来に希望が持てるような、そんな感じ。そう、「なんとなく」ね。

そして、もうそうとうの年数を生きてきた私は、「そうねぇ、若い頃は未来に希望を持っていたときもあったわねぇ」と、すぐに冷静な気持ちに戻ってしまいました。

ちなみに私も子供の頃、ピアノを習っていました。なぜ自分がピアノを習い始めたのかよく分からないまま、近所のおさななじみも通っていたので、みんなそういうものかなあと思いながら続けていました。といっても別にピアノが好きだったわけではないので、あまり練習せず、当然のことながらたいしてうまくならず。

小学校低学年で引っ越した先でもピアノ教室に通い始めましたが、前に通っていたピアノ教室と教え方がまったく異なり(正確には、前に通っていたピアノ教室の教え方が当時としては特殊だった)、最初のバイエルからやり直しになってしまい、ますます練習嫌いになり、ますます下手になっていき、中学校の途中でやめてしまいました。

今思うと、決して裕福ではない、はっきり言えば貧乏だった我が家でピアノを所有することは、親にとってはかなり負担だったでしょう。もっと頑張って練習してあげればよかった。

と反省する一方で、なぜピアノなんか習っていたんだろう?と疑問が湧き、あるとき両親に尋ねたところ、どうやら私が習いたいと言い出したのではなく、どうしても母が私に習わせたかったそうです。しかも、最初にピアノ教室に行ったときに、ピアノの先生に「お母さん、申し訳ないけど、この子はうまくならないかもしれません」とはっきり言われたそうです。なぜかというと、手が小さく、指が短いから。先生のご指摘どおり、成人した私の手は、思いっきり広げても1オクターブ届きません。

まあ、母としては、別にプロのピアニストになって欲しいわけではなく、「お嬢様」というイメージでピアノを弾けるようになってほしいという希望だったのでしょう。

そんなわけで、まったくピアノに思い入れなく、鍵盤を順番通りにたたくだけだった私は、今回この本を読んで、「そうか、ピアノを弾く人は、こんな風に心をこめて弾いているのね」と、まるでピアノとは無縁の人間のような感想を抱きました。

お母さん、希望通りのお嬢様に育たなくてごめんね。ドイツ製で臙脂色っぽい木目調の素敵なアップライトピアノだったよね。

2021年5月 9日 (日)

人生とか宗教とかバラとか

ここ数年、気に入っている番組の一つ、Eテレ「こころの時代〜宗教・人生〜」。

さまざまな人たち、主に激動の人生、あるいは苦難の人生を歩んできた人たちと、その人が信仰してきた、または信仰するに至った宗教との関わりが語られる。

といっても、宗教を「説く」といより、迷いや壁をどのように解釈して、乗り越えてきたかに焦点があてられる。その「解釈」の仕方が、信仰している宗教と強く関わっていたりする。

いくつかのエピソードを見ていると、「解釈」の仕方は宗教によって異なるけれど、迷いや壁を乗り越える、すなわち「問題を解決する」には、まず「問題を解釈する」という点は共通しているように思えてきた。

それにしても、信仰はこれほど人を強くするのか、と驚かされる。と同時に、“それ”は本当に強さなのか?と疑問に思うこともある。

日曜日の早朝(5時)からいろいろと考えさせられる番組です。

さて、人生について考えたあとは、砧公園のバラをチェック。

緑一色の公園
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こんなバラや
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あんなバラが満開です
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そして、特に気に入っているのは、「エメラルド・アイル」
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スゴイ!一輪の中に3つくらい花が詰まっている感じ。

今日の「ありがとう」は、世のすべてのお母さんたちに。今日は「母の日」でした。

2021年4月29日 (木)

募る落胆、増える感染者

つい2週間くらい前までは、ゴールデンウィークは静かに都内の美術館に出かけようと思っていたら、三度目の緊急事態宣言の影響で目当ての美術館が次々に閉館。

せっかく予約をとった「鳥獣戯画展」(東京国立博物館)がまず閉会を決め、予約無しで行けるはずだった「茶箱と茶籠」(三井記念美術館)も閉館。予約制の「茶の湯の美」(出光美術館)は運良く緊急事態宣言発出前に見に行けた。

出光美術館から見た皇居外苑。曇りがちな日の夕方、木々の緑がなんだか不思議な色合い。
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美術館は、全員マスク、入場の際に検温・手指消毒、誰かと会話するわけでもなく、入場制限で密にはならないので、うつる心配もうつす心配もかなり低い。誰も話相手のいない独り暮らしの身には、鬱鬱とした精神状態を和らげてくれる数少ない場所なのに。あんな無能・無策なお上の言うことなんて聞かなくても…(泣)

そんなささやかな救いの空間を奪われて、もうがっかり。

思っていたより落胆が大きく、日を追うごとに悔しさが募ってくる。意地でも東京五輪をやるつもりのアイツが「東京に来ないでください」だの「連休はステイホーム」だのと、まさに憤懣やるかたない思いです。

そういえば、第1回目の緊急事態宣言のときも、計画していた観劇がことごとく中止になったっけ。同じ事の繰り返し。

本日の東京都の感染者数は1月28日以来の1000人越え。初回緊急事態宣言の10倍。同じどころか、より悪くなっている。もはや希望も期待も見いだせない。

今日は、そんな沈んだ気持ちを少し晴らしてくれた映画「LA LA LAND」に「ありがとう」。4年前にアカデミー賞6部門を獲得した作品。本当に素敵な映画でした。

2021年4月20日 (火)

オックスフォードに逃避行

動画配信サービスGyaoに、「刑事モース」が帰ってきた!

そう、ちょうど去年の春ごろだったかな。刑事モースの無料配信が始まって、引きこもり生活の中の数少ない心の慰みとして毎シーズン毎エピソードを楽しみに見ていたけど、残念ながら夏の手前で無料配信は終わり、シーズン5移行は見られずじまいだった。

その刑事モースのシーズン3の無料配信が始まりました!どうせなら初回からもう一度見たかったけど、あるいは、続きのシーズン5から見たかったけど、それでもモースの姿とオックスフォードの風景が見られるだけでも嬉しい。

昨年の今頃は緊急事態宣言で、「不要不急の外出は控えて」などと政府に言われて、素直に引きこもっていたっけ。山口の両親に会いに行く計画も取りやめて、誰かに会う予定もなく、鬱鬱とした気分を早朝のウォーキングやジョギングでなんとか晴らしていたな。

今年は「蔓延防止等重点措置」というものに名称を変えて、やはりゴールデンウィークの越境移動は控えろと言ってきやがる。そして同じように、山口行きの計画をキャンセル。なんだ、同じ事の繰り返しじゃん。何も変わっていない。何も改善されていない。むしろ改悪?

それでも、昨秋から始めた早朝バイトのおかげで毎朝人と会って挨拶する機会ができたことと、重荷だった2つの仕事があらかた片付いたことで、精神的にはそこそこ健全に過ごせている。早朝ウォーキング/ジョギングができないのは残念ではあるが。

大阪府が緊急事態宣言発出の要請を決定したらしい。東京都も要請を検討中とか。緊急事態宣言の発出を要請しても、コイケ女史は東京五輪をやる気なのだろうか。

考え始めると、腹が立ったり憂うつになったりするので、今はとりあえず、オックスフォードの風景を見ながら現実逃避。逃げてばかりいては、何の解決にもならないのだけどね。

今日の「ありがとう」は、清々しい、新緑の陽気に。

2021年3月26日 (金)

駆け抜ける桜 その2

桜を眺めながら食事、という花見ができないので、啓翁桜を買ってきて花器にさしました。週末に桜の前に座って、ひとり花見の宴をしようと。
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しかし、暖かい日が続いたので、あっというまに満開。
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良く見えるように真っ暗なディプレイの前でパチリ。
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明日には散ってしまうかも・・・。

そして、今日は花嵐でした。外の桜もだいぶ散ってしまったかも。

桜が散ると、「取り残された」感に包まれるのはなぜでしょう。

今日の「ありがとう」は、電話をくれた甥っ子に。声を聞いたのは15カ月ぶりくらいかな?

2021年3月11日 (木)

もう10年

3.11、あれから10年経ちました。

「もう10年、まだ10年」という言葉を其処此処で見かけますが、私は「もう10年」という感覚です。

もう10年も経ったのに、原発は相変わらず動いていて、方針すら曖昧で、被災地の復興も課題が多く、被災者の生活もいまだ格差(あるいは落差?)があるらしい。

あの日の津波の映像が、今日もテレビで流され、涙が止まらなかった。

当日のあの時間、私は家にいたので、大きな揺れは経験したものの、帰宅困難者になることもなく、これといった被害はほとんど無かった。

だから、津波の映像は恐怖に直結していない。それなのに、涙が出てくるのはなぜだろう。

たぶん、あの日から日を追うごとに強くなっていった不安感と孤独感、そして“罪悪感”が蘇ってくるからかもしれない。

誰にも必要とされていない、こんな私が生き続けていてすみません。

そんな思いを心の奥底に沈めながら、10年生き延びてきました。もう10年も。

津波の映像を見ると、奥深くに沈んでいた「そんな思い」が、それこそプレートのように動き出すのか。

それでも、この程度で済むのだから、幸運なことです。

実際に被害に遭われた方々は、大きな恐怖と大きな悲しみに包まれてしまう。

本当の復興が訪れることを、願ってやまない。願うことを、やめてはいけない。

今日の「ありがとう」は、私が生きていることを許容してくれる世界に。

それにしても、レディ・ガガってやっぱり素敵だな。

2021年2月12日 (金)

麒麟が消えた

とうとう、とうとう終わってしまいましたね。大河ドラマ「麒麟がくる」。

初めて大河ドラマをまともに見た感想は、「大河ドラマって、まさに“大河”なドラマなのね」でした。いまどき、これほどまで予算と人材と熱と力を注いで製作できるドラマって、なかなか無いですからね。

コロナ禍で外出する予定がほとんど無かったことも手伝って、全話リアルタイムで見ましたよ。

役者良し!配役良し!衣装良し!そして、第十一回が放映された時点でも書きましたが、オープニングがとにかく良い!録画で見ていた人の多くは、オープニングを飛ばして視聴するようですが、もったいない!オープニングもしっかり見てこその「麒麟がくる」です!

私はリアルタイム視聴だったので、毎回毎回オープニングを堪能し、毎回毎回心震わせていました。なんだったら、オープニングですっかり感動しきってしまい、本編は気を抜いて「ながら見」…なんてことも(その場合は、NHKプラスであわてて見直し)。

オープニングなんて見ていなかったよ、という方。今からでも遅くはありません。公式HPで視聴できます。是非ご覧ください。

さて、結局のところ麒麟は夢幻(ゆめまぼろし)だったのか。信長が麒麟を呼ぶ者だと信じて、麒麟の幻影を重ね合わせて、信長をモンスターに作り上げてしまった。自分が生み出したモンスターを成敗し、そこに重ね合わせていた麒麟も消してしまった。最終回を見て、そんな風に感じました。

今日の「ありがとう」は、ちょっと早めのチョコレートをくれた、バイト先のSさんに。

2021年1月17日 (日)

オバサンにも響かない

緊急事態宣言下ですが、土曜日に五島美術館の「茶道具取合せ展」に行ってきました。

不要不急と言われれば不要不急かもしれないけど、私の精神安定のために必要。それに、人と話したり接触したりすることもないので、危険性はないと考えて出かけました。時間が早かったためか、それともみんながステイホームを忠実に守っているためか(それはないだろうけど)、とても人が少なくて、まったく密にならず。

この日は小春日和で暖かかったので、お庭ものんびり散歩しました。

庭側から見た五島美術館。
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はるか向こうにビルが見えます。
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歩いていると、汗ばむくらいの暖かさでした。

さて、一夜明けて日曜日。某情報バラエティー番組で「なぜ20代の若者に緊急事態宣言のメッセージは響かないのか」と言っていましたが、そりゃー響かないでしょうよ。若くない私にも響いていませんよ。

だって、「(感染拡大を抑えるために)ありとあらゆる対策をとる」って言いながらも国会開かないし、家に居ろと言いながらも自分らは会食行くし、記者の質問に答えないし(それ以前に記者に質問させないし)、オリンピック開催するって言い張ってるし、響くわけないじゃん。

私は自分が感染したくないことに加えて、賑やかな(人が多い)場所に出かける気力も時間もなく、一緒に出かける相手もおらず、仕事はテレワークなので、結果的にほぼ家に閉じこもっているだけ。

若者曰く、「緊急事態宣言が出ても、SNSで全然騒いでいないから、そんなに危ないとかたいへんだとか思わない」と。そう、本気度が伝わっていないのですよ。受け取る若者側が問題なのではなく、発する側の問題です。

本気でステイホームして欲しいなら、本気を見せてみろ!

週末の「ありがとう」は、小春日和の都会の庭に。

 

 

2021年1月 2日 (土)

おこもり正月

新年2日目に、ようやくお正月らしい朝食(画質が粗いのはちょっと暗い中で撮ったせい)。
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朝からお酒を片手に、ゆっくり食事しながら、テレビで箱根駅伝往路を観戦。早大OB渡辺康幸氏の解説は相変わらず分かりやすくて、面白い(興味深い)。今年も1号車解説だけど、もう総合解説になってもらっちゃっていいんじゃない?

今年はコロナ対策として、沿道に応援に行かないように呼びかけていましたが、やっぱりチラホラと、場所によってはだいぶ沿道に人がいましたね。といっても、例年に比べれば圧倒的に少ないし、声援ではなく拍手の応援にとどめていました。(※沿道の人たちが、呼びかけを無視して集まった人たちとは言い切れない。中には沿道の家に住んでいる人もいたかもしれない)

駅伝やマラソン経験者はよく「沿道の応援があると頑張れる」と言いますが、今回は走者にとっては走りづらかったのだろうか?それとも、そんなこと気にならない(気にしていられない)だろうか?

今年の往路優勝は、まったく予想していなかった創価大学でした。昨年の覇者、青山学院大学はなんと12位。いろいろ番狂わせがあって、復路(明日)も目が離せません。

さて、駅伝観戦が終わってからも、これといって出かける用事もないので、和菓子を作りました。
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花びら餅は難しい。白い求肥を上手に薄く伸ばすことができなかったので、ピンク色が透けて見えない(^^;

花びら餅に限らず、和菓子は難しいですね。そして、自分で作ってみて、こんなに砂糖が使われているのか!と驚きます。しかし作ってしまったので、明日も2個食べよう。

今日の「ありがとう」は、無事に往路を駆け抜けた駅伝選手たちに。明日も頑張ってね。

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