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2006年7月31日 (月)

舞台と観客のあいだには…

7月大歌舞伎は、玉三郎監修/演出の泉鏡花4作。そのうち2作(「山吹」「天守物語」)を夜の部で鑑賞。

いろんな方々がブログに感想を書かれていますが、いろんな意味で難解でした。

まず「山吹」は原作からして一筋縄ではいかない。美と醜、現と幻が交差して、ちょっと倒錯した雰囲気の退廃的なストーリー。小説としては読めるけれども、歌舞伎役者が演じるにはどうかと思う。

主役3人を演じるいずれの役者も、いまひとつ、とまどいがあるようなぎこちなさを感じた。というか、見ていてどうにも居心地の悪い恥ずかしさというか気まずさというか、そんなものがつきまとった。

しかし、いろんな方がブログで載せている感想を読ませていただくと、妙な違和感を生み出していたのは、役者の演技ではなく、観客の反応だったかもしれない。

というのも、「なぜここで?」というところで笑いが起こるのです。これ、かなり多くのブログで「なぜ笑いが?」と書かれています。

「なぜ?」と問う人が多いということは、笑いが起こるのはヘンだということ。しかし、複数の上演日で笑いが起こったということは、笑いが起きて当然だったということか?

確かに笑いを誘うようなセリフもあるのです。あるのですが、「笑うところじゃないでしょ」というところで笑いが漏れるのです。

例えば縫子が感情を高ぶらせて番傘(蛇の目傘?)をびりびりと破くシーンとか。最後に島津が現実の世界に踏みとどまるために「いや、仕事がある」と言うシーンとか。決して笑う場面ではないと思うのですが。

次の「天守物語」も同様に、「どうして?」と思うところで笑いが…。

富姫が図書之助の話を聞いて「なんと涼しい」と言うと、クスクスクス。富姫が獅子頭に向かって「あの方を私にください」と言うと、クスクスクス。

いや、あの、そこはせつないシーンであって、笑うシーンではないはず…。

しまいには、桃六が獅子頭の眼を掘り、富姫と図書之助の目が見えるようにする場面でも笑いが!私にはこの笑いが一番難解だったかも。

非常に残念だけど、今回の歌舞伎は、玉三郎さんの意図が観客には伝わらなかった気がする。「つまらない」とか「嫌い」とか、人それぞれ受け止め方が違うのは別に問題ではないのです。

ただ、今回多くの(あるいは一部の?)観客が期待していたのは、ステレオタイプの玉三郎in歌舞伎。たとえて言うなら、表参道のオリエンタルバザー=外国人観光客向けのジャパニーズ・カルチャー。(笑った観客が外国人だったということではありません)

おそらく芝居が始まる前から、♪舞台と観客のあいだには、深くて暗い河♪があったのです。

玉三郎さんも泉鏡花も好きなだけに、ちょっと残念な観劇となりました。

補足:それでも玉さまの富姫は妖しく麗しゅうございました。まったく体の芯が揺らぐことなくすっと座り、すっと立つ姿は、ますます人外の者の雰囲気を醸し出し、海老蔵と並んで光り指す方向を見上げるところは、劇場中で溜息がきこえるほどでした。

今日の「ありがとう」はチケットを確保してくれたK子さんに。

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