2021年8月 1日 (日)

サボロー暗躍中

はや8月です。

おや、7月は1回しかブログを書いていませんでした。すっかり“サボロー”に支配されちゃっています。

そうこうしているうちに、かねてより大反対していた東京オリンピックが開幕しました。そして、かねてより応援していた上野由岐子投手を中心とするソフトボール日本代表が、13年ぶりに金メダルを獲得しました。

今でも、東京五輪決行の判断は間違いだ!と思っていますが(招致活動の時点からすでに間違いだと思っていましたが)、上野由岐子さんの活躍&優勝はとても嬉しい。おめでとう、ソフトボールチーム。おめでとう、上野由岐子さん。現役アスリートで一番かっこいいと思う。投げている姿はもちろん、涙を流す姿もかっこいい。

私にとっては断然 上野由岐子>大谷翔平 です。

さて、今日はくず饅頭に再々トライしました。相変わらず、成形にてこずっています。餡を真ん中に収めるのがむずかしい。
(写真は、餡が真ん中に見える角度から撮りました)

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ところで、昨日はなぜかすっきりした気分で1日を過ごしました。何かをやり遂げたような、何か問題を解決したような、そんな気分。でも、考えてみると、何もやり遂げていないし、何の問題も解決していない。それなのに、なぜでしょう。

週末の「ありがとう」は、「ああ、勘違い」なすっきり感に。勘違いだけど、1日すっきり気分で過ごせました。

2021年7月19日 (月)

酷暑に夢を見た

1カ月近くブログをさぼっていました。

書きたいことはあったのですが…、例えば、この1週間ほど前に読み終わった「日蝕」(平野啓一郎著)のこととか。久しぶりに何かが眉間を貫くというか、そんな衝撃と感動があったのだけど、うまく言葉にできず、そのまま書けずじまい。

「日蝕」の感想は、いずれ、じっくりと。

で、「日蝕」とは無関係で、世田谷文学館に「イラストレーター 安西水丸展」に行きました。

安西水丸。ずーっと第一線で活躍していたけど、私としては特に学生時代&社会人初期と直結する。さまざまな雑誌やCM、ポスターに安西水丸のイラストが使われて、どれもヒットした。単純な線と軽快な色づかいが心地よくて、見ているとクスッとしたり、ほっこりしたり。

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今回の安西水丸展は、撮影OK(フラッシュと動画は禁止)という寛大な展示で、お言葉に甘えてたくさん写真を撮りました。

子供の頃のノートとか、大人になってからの旅のスケッチとかも展示されていて、とにかく「描かずにはいられない」人だったんだなということがひしひしと感じられた。

作品そのものや、あるいはイラストが掲載されてた雑誌などに、「嵐山光三郎」やら「村上春樹」やらの名前もでてきて、かつての日々が蘇った。

  安西水丸、嵐山光三郎、村上春樹、渡辺和博、南伸坊・・・懐かしいなあ、楽しかったなあ、あの頃。

数十年前の思い出に浸りながらウキウキした気持ちでたっぷり展示品を見て回り、会場から炎天下の外に出たら、一気に現実に引き戻されてしまった。

「夢」だったんだ、たぶん。酷暑のアスファルトの「逃げ水」のような。

週末の「ありがとう」は、安西水丸展に。ひとときの夢を見せてくれてありがとう。

2021年6月21日 (月)

麗しの七十代

土曜日は誕生日でした。

せめて自分で自分にプレゼントを、と思って、19日指定で紅茶の詰め合わせが届くようにしていました。

こんなご時世なので、宅配のドライバー宛に「置き配(署名・捺印省略)でお願いします」との貼り紙をドアに貼り、閉じこもって来月の書道の課題などをしていたら、自分からのプレゼントに加え、幼なじみY子と友人K美からのプレゼントが、静かにドアの前に置かれていました。

出かけるちょっと前に気付いてびっくり!嬉しいサプライズ!
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他にも、友達数人からおめでとうメッセージをいただきました。

さて、久しぶりの歌舞伎観劇は、仁左玉(仁左衛門丈&玉三郎丈)コンビの「桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしょう)」。4月に「上の巻」が上演され、今月は「下の巻」です。

これがもう、とんでもないストーリーで、歌舞伎は「トンデモ話」が当たり前ですが、これはまた非道いというかむごいというか。仁左玉でなければ気が滅入っちゃって見ていられなかったかもしれません。特に仁左衛門丈が演じる釣鐘権助(つりがねごんすけ)がろくでなしの人でなし。こんな極悪非道の色悪(いろあく)を演じられるのは、現役の役者では仁左衛門丈しかいないでしょう。

玉三郎丈は、世間知らずのお公家のおひい様、鞍替えを繰り返してすっかりハクが付いた女郎、仇討ちを果たして凜とした姫君を、流れるように演じる。さすが!

孝玉そして仁左玉コンビとして、幾多の名作を共演してきたお二人。布団の上にうつ伏せで肘を突いて並んで会話をするシーンなんぞは、とてもチャーミングでかわいらしかった。仁左衛門丈77才、玉三郎丈71才。こんな70代カップルって他にいますか!?(笑)

次にいつ仁左玉を見られるか分からないので、グッズを買っちゃいました。う〜ん、麗しい。実際、実物より麗しいかも?
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週末の「ありがとう」は、いつも支えてくれるK美とY子、そしてメッセージをくれた友たちに。

2021年6月13日 (日)

音の光景

今回の読書は「蜜蜂と遠雷」(恩田陸著)。

前回の「羊と鋼の森」から「ピアノ」つながりです。「羊と鋼の森」は調律する人の話でしたが、「蜜蜂と遠雷」は弾く人の話。架空の世界的コンテストに挑む4人のピアニストに焦点を当てて、コンテストの進行とともに物語が進んでいきます。

「羊と鋼の森」は、ほんわかと優しくて温かくて、あるいは静かで爽やかな風景が浮かんでくる感じでしたが、「蜜蜂と遠雷」は描写も目に浮かぶ光景も、もっと感情的(エモーショナル)で躍動的(ダイナミック)。

例えば、(モーツァルト「ピアノソナタ第十二番第一楽章」の演奏を聴いて)「このモーツァルト。いったいどこまで走り抜けようというのか」とか、(メンデルスゾーン「無言歌集の春の歌」に演奏が移ったとき)「いきなり場面は、匂い立つ花園になったのだ。あでやかに咲き誇る春の花が、目に浮かび鳥が歌うさまが見える」とかね。

そしてそれは、私にとって、クラシックが好きな人は演奏を聴いてこんな風に感じたりするのか、と新たな発見でした。

正直言うと、私はクラシックの演奏を聴いて、いやクラシックに限らず、楽器の演奏を聴いてこんな風に感じることはありません。もちろん、「きれいなメロディーだな」とか「優しい音だな」とか、「楽しげなリズムだな」とは感じるけど、こうして何かの光景が鮮やかに目の前に展開されるということは、ほとんどない。

私はいままで、本当に音楽を鑑賞できていなかったのね。だから音楽がなくてもさほど不自由を感じなかったんだな~。単に自分が音痴だからだと思っていました。

さて、「蜜蜂と遠雷」は2017年に直木賞と本屋大賞をダブル受賞、そして2019年に映画化されています。映画化の際に、テレビCMやら車内広告やらを目にしていたので、キャスティングは知っていましたが、本を読み終わってあらためて当時の記事や予告編(動画)を見ると、私の思い描いたキャラクターとけっこう近い!映画はまだ見ていないので、機会があったら見てみようと思う。

今日の「ありがとう」は、午前中のあれやこれやに対応してくれたNさんに。

2021年6月 9日 (水)

ギガ級に楽しい、鳥獣戯画

行ってきました!「国宝 鳥獣戯画のすべて」展!
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緊急事態宣言が延期になったときに、何が悲しかったって、美術館・博物館が休館になったことでした。

特にこの鳥獣戯画展は、必至でオンライン予約をしたのに休館になってしまい、緊急事態宣言期間中に、当初の開催期限を迎えてしまうという状況だったので、本当に悲しくて悲しくて、安倍・菅政権の無策っぷりへの怒りが一気に増幅しました。

が、このたび、開催期間を延長しての再開!ありがとう、トーハク!

今回の展示では、全4巻の「鳥獣戯画」を全画面開いて見せてくれています。

擬人化した兎や蛙が有名ですが、擬人化していない馬やら牛やら、空想上の獣である麒麟や龍や獏、人間の行事とか滑稽な仕草とかもふんだんに描かれています。

一番気に入ったのは、やっぱり擬人化した兎や蛙や猿が満載の甲巻。まるで人間のように、いや、人間以上に生き生きしていて表情豊か!立ち止まらないように、動く歩道で(強制的に)移動しながら鑑賞しました(笑)

※動く歩道は甲巻のみ。乙・丙・丁巻は歩きながらの鑑賞

来場者の中に、鳥獣戯画(もちろん甲巻)の半幅帯を締めた2人組の和服女性がいました。写真撮らせてもらえばよかったなー。私はふつうの名古屋帯と紬でした。

今日の「ありがとう」は再開してくれた「鳥獣戯画」展に。とても楽しかった!

東京国立博物館から上野公園方向の空を臨む。
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歩道の「足跡標本」がアップデートされていた!
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2021年5月30日 (日)

緑の鎮静剤

ようやく近所のヤマボウシが満開に。駒沢オリンピック公園のヤマボウシより、花が小ぶりで、薄い緑。
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さて、緊急事態宣言が延長になりました。6月20日までとのこと。毎度思うのですが、なぜ日付を目安にするのでしょう。「感染者○○人を下回ったら」「重傷者○○人を下回ったら」あるいは「病床使用率○○%を下回ったら」などにするべきでは?

日付で区切っても、その期限になってみて、やっぱり感染状況が悪ければ「また延長」ってことになって、国民のウンザリ度がますます高まるばかりなのに。

そんな「ウンザリ」を少しでも和らげようと、緑に囲まれた美味しい空気を吸いに行きました。

砧公園の緑!
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アメリカスズカケキの実
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イロハモミジかな?
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そして今日はくず饅頭に挑戦。工程はシンプルだけど、手際が難しい。
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あっという間に土・日は終了。出かけなくても休日が過ぎるのは早い。

今日の「ありがとう」は、N○Kのドラマ「今ここにある危機とぼくの好感度について」に。良かった!脚本、演出、役者、全部良かった!そして胸に刺さった。

「みなさん、もうお気づきでしょう。我々は組織として、腐敗しきっています。不都合な事実を隠蔽し、虚偽でその場を凌ぎ、それを黙認し合う。何より深刻なのは、そんなことを繰り返すうちに、我々はお互いを信じ合うことも、敬い合うこともできなくなっていることです。」

変わるための一歩を踏み出さなければ。

2021年5月17日 (月)

5月の雪

毎年見事な咲きっぷりの、駒沢オリンピック公園のヤマボウシ。毎年写真を撮りそびれてしまうのですが、今年は無事に写真に収めることができました。

白い花が満開
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まるで雪が積もっているよう
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光と花が融合
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全体像はこんな感じ
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近所にも見事なヤマボウシがあるのですが、そちらはまだ蕾。これも毎年撮りそびれているけど、ことしは忘れずに撮影しよう。

今日の「ありがとう」は、感じの良い珈琲店の奥さんに。次回もあの店で買おう。

 

2021年5月15日 (土)

優しい人たちのピアノ

今回読んだのは、「羊と鋼の森」(宮下奈都著)。2016年の本屋大賞1位に輝いた作品です。

優しさを湛えた文章で、安心してどんどん読み進められる。

ピアノの音色から風景が広がる様子や、ピアノのたたずまいから持ち主の性格(生活)が読み取れるところなど、丁寧な描写に、「ふむふむ、なるほど」と感心する。主人公の性格が、細やかでありながら良い塩梅で鈍感なので、たとえちょっとした停滞やつまずきがあっても、すべてが少しずつ良い方向に回っていくことが感じられる。

登場人物がみんな(多かれ少なかれ)優しさを持ち合わせていて、なんとなく温かい気持ちになれる作品でした。なんとなく未来に希望が持てるような、そんな感じ。そう、「なんとなく」ね。

そして、もうそうとうの年数を生きてきた私は、「そうねぇ、若い頃は未来に希望を持っていたときもあったわねぇ」と、すぐに冷静な気持ちに戻ってしまいました。

ちなみに私も子供の頃、ピアノを習っていました。なぜ自分がピアノを習い始めたのかよく分からないまま、近所のおさななじみも通っていたので、みんなそういうものかなあと思いながら続けていました。といっても別にピアノが好きだったわけではないので、あまり練習せず、当然のことながらたいしてうまくならず。

小学校低学年で引っ越した先でもピアノ教室に通い始めましたが、前に通っていたピアノ教室と教え方がまったく異なり(正確には、前に通っていたピアノ教室の教え方が当時としては特殊だった)、最初のバイエルからやり直しになってしまい、ますます練習嫌いになり、ますます下手になっていき、中学校の途中でやめてしまいました。

今思うと、決して裕福ではない、はっきり言えば貧乏だった我が家でピアノを所有することは、親にとってはかなり負担だったでしょう。もっと頑張って練習してあげればよかった。

と反省する一方で、なぜピアノなんか習っていたんだろう?と疑問が湧き、あるとき両親に尋ねたところ、どうやら私が習いたいと言い出したのではなく、どうしても母が私に習わせたかったそうです。しかも、最初にピアノ教室に行ったときに、ピアノの先生に「お母さん、申し訳ないけど、この子はうまくならないかもしれません」とはっきり言われたそうです。なぜかというと、手が小さく、指が短いから。先生のご指摘どおり、成人した私の手は、思いっきり広げても1オクターブ届きません。

まあ、母としては、別にプロのピアニストになって欲しいわけではなく、「お嬢様」というイメージでピアノを弾けるようになってほしいという希望だったのでしょう。

そんなわけで、まったくピアノに思い入れなく、鍵盤を順番通りにたたくだけだった私は、今回この本を読んで、「そうか、ピアノを弾く人は、こんな風に心をこめて弾いているのね」と、まるでピアノとは無縁の人間のような感想を抱きました。

お母さん、希望通りのお嬢様に育たなくてごめんね。ドイツ製で臙脂色っぽい木目調の素敵なアップライトピアノだったよね。

2021年5月 9日 (日)

人生とか宗教とかバラとか

ここ数年、気に入っている番組の一つ、Eテレ「こころの時代〜宗教・人生〜」。

さまざまな人たち、主に激動の人生、あるいは苦難の人生を歩んできた人たちと、その人が信仰してきた、または信仰するに至った宗教との関わりが語られる。

といっても、宗教を「説く」といより、迷いや壁をどのように解釈して、乗り越えてきたかに焦点があてられる。その「解釈」の仕方が、信仰している宗教と強く関わっていたりする。

いくつかのエピソードを見ていると、「解釈」の仕方は宗教によって異なるけれど、迷いや壁を乗り越える、すなわち「問題を解決する」には、まず「問題を解釈する」という点は共通しているように思えてきた。

それにしても、信仰はこれほど人を強くするのか、と驚かされる。と同時に、“それ”は本当に強さなのか?と疑問に思うこともある。

日曜日の早朝(5時)からいろいろと考えさせられる番組です。

さて、人生について考えたあとは、砧公園のバラをチェック。

緑一色の公園
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こんなバラや
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あんなバラが満開です
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そして、特に気に入っているのは、「エメラルド・アイル」
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スゴイ!一輪の中に3つくらい花が詰まっている感じ。

今日の「ありがとう」は、世のすべてのお母さんたちに。今日は「母の日」でした。

2021年5月 4日 (火)

15年後のための一作

「われもまた天に」(古井由吉著)。前回読んだ「我らが少女A」の著者、髙村薫氏が、古井由吉の作品は出たら必ず読むと話していたので、選んでみました。残念ながら古井氏は昨年2月に亡くなられています。

ふつうは代表作「杳子や「槿」から手に取るのでしょうけど、まず最後の作品(エッセイ)を読みました。亡くなる前年から直前までに書かれたエッセイなので、入退院を繰り返している様子が語られています。

入院と入院の間の散歩や外出の様子、何度目かの入院に至る様子、何度目かの退院の時の様子、そして、身内の死や世間を騒がせたニュースに対する反応。決して悲愴感を漂わせるのでもなく、しかし淡々とした印象とも少し違う。静かに、少しずつ、エネルギーが薄まっていくような感じ。もし、私があと15年歳をとってから読んだら、ヒシヒシと胸に迫るものがあるのかもしれない。

タイトルの「われもまた天に」は、明の時代の医師・李挺のことば「吾のいまだ中気を受けて以って生まれざる前、すなわち心は天に在りて、五行の運行を為せり。吾のすでに中気を受けて生まるる後、すなわち天は吾の心に在りて、五事の主宰を為せり。」から。意味は、作品中に説明がありましたが、よく分かりませんでした(^^;

15年経ったら分かるかも知れない。

今日の「ありがとう」は、私が週末に悶々と悩んでいたことに「そんなこと全然ないですよー」とあっさり答えてくれたIさんに。若いママさん、とても頼りになります。

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